↑この見開きページの写真と左ページの文章を以下に抜粋
大川内山には誇り高き陶工が集う
− 中略 −
「鍋島」制作の最高技術は、現代の伊万里焼に引き継がれている。
現在、大川内山にある窯元は30軒。坂道を上がり、その奥まった場所に窯を構える十九代 市川光山氏を訪ねた。
Tシャツにジーンズ姿の光山氏は、ロクロ作業をしていた。安易に声を掛けられる雰囲気ではない。ロクロの上では、円筒形をした花瓶状のものが回っている。ごく浅い褐色の土の素肌。氏の右腕は制作物の空洞部分深くに入れられ、左手の指は外側に当てられている。
「右目は壷の内側、左目は壷の外側。同時に見ています」
恐れ入った。通常の生活のなかで、こういった視認方法を取ることは皆無に等しいし、たぶんできない。
十九代。その年月の連なりこそ、大川内山の歴史物語。
写真説明
<右上>
大川内山は、観光客が大挙して行き交う時間帯と、ひっそりと静まり返り「視界の範囲で動いているものは猫だけ」というような得がたいタイミングがある。秘窯の里、雨上がりの某月某日。
十九代 市川光山作「色鍋島松竹梅文」松竹梅に、鶴と亀。縁起よきものが一堂に揃って描かれている。
<左上>
市川光山氏が作陶した品々は、大都市の百貨店やホテルなどで折々開かれる展覧会でも目にすることができる。
が、ここ大川内山の窯での作業中こそが、先祖代々の魂の継承を感じるとき。