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磁器散策 − 朝日新聞に掲載(技キラリ)−

2015年3月3日(火)
 本日、新聞紙面の広い範囲に、たくさん掲載していただきました。
 朝日新聞様、ありがとうございました。
 掲載文を抜粋しました。ご覧ください。

   伝統に現代感覚を加味

父親の18代光山(本名・光雄)さんは、県立有田工業学校(現有田工業高校)から、現在は京都市立美術大学となっている美術学校へ進み、戦前の京都画壇を代表する日本画家の竹内栖鳳に師事した。帰郷して家業だった陶芸の世界に身を投じ、その技が輝きを放ったのは言うまでもない。
19代(同・浩二)は、7人兄弟姉妹の6番目。子どものころから工房に出入りし、中学、高校時代 には、手伝いをしていた。福岡市の九州造形短大で油絵を学び、休日には実家に戻り仕事の手順を覚えた。
ところが、光山さんが20歳の時に18代が74歳で亡くなり、光山窯の将来は19代の双肩にかかることに。そこで18代と同じように、徹底して絵付けやろくろの技を磨こうと覚悟を決めた。
短大を卒業した1982年に約半年間、有田町の県窯業試験場で釉薬の研究をした。翌83年に白磁の県重要無形文化財保持者だった故・中村清六氏に弟子入りした。中村氏は、県陶磁器工業組合による後継者育成事業の一環として伊万里・有田焼伝統産業会館(伊万里市大川内町)に週1回、ろくろの先生として教えに来ていた。
当代随一のろくろの名手といわれた中村さんは、「まず同じ形の器を大量に作れるようにならないと、職人としてご飯が食べられないし、それができるようになって初めて上物を作れる」という考え方だった。だが、光山さんは「それは勘弁してください。私は最初から上物を作りたい」とはっきり口にした。
そのせいか、「最初の2年ぐらいは、名前で呼んでいただけませんでした」と苦笑いした。中村さんには、24、25年間ほどろくろを習った。
光山さんは、それぞれ下絵付け、上絵付け、ろくろの3部門の資格がある伊万里・有田焼伝統工芸士と、1級技能資格の計6部門の資格を、1996年から2003年にかけてすべて取得。国が認定した確かな技を1体化し、色鍋島や鍋島青磁に注ぎ込んでいる。
たとえば、伝統的な鍋島の濃みは何回も均一に塗り重ねるが、濃淡をつけたり、獲物を狙うサギの目を鋭く表現したり、現在感覚を採り入れて微調整している。ただ、伝統的な様式が好きな客には、要望に応じて描き分けている。
市川光山窯のショールームから、外を眺めると鍋島藩窯の300有余年の歴史の証言者である大銀杏がそびえ立っている。精巧で華麗な鍋島は、その年輪と同じく1年ずつ着実に時を刻み高い評価を得てきた。
「この300年余りの間に培われた技をしっかり習得した上で、自分の新しい技術を加味し、年輪を増やしていきたい。そんな思いで仕事をしています。」

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