〜 鍋島焼 〜
鍋島焼の由来
文禄の昔朝鮮の役終るの日、鍋島直茂公高麗の陶工三00名を誘致し、肥前各地に陶磁器の制作を創(はじ)められる。実に我国陶磁器界の鼻租(びそ)たり。
爾来(じらい)歴代藩主の渥(あつ)き保護奨励の下に斬次(ぜんじ)其の投巧を練磨し、延宝年間伊万里郷大川内山に御用窯を築きて、藩主の専用品のみを特製するに力めたる結果、元禄以降に至り其の手法、其の精緻、其の色沢を以って本邦陶磁器界に異彩を放ち、内外鑑賞家の賛美を博しつつ今日に及べり。
鍋島焼の秘作
本陶磁器の発達は元来藩公歴代の持籠(じちょう)によりしものにして、之が製作は極秘に製作高は厳に制限せられ、禁裏(きんり)将軍家への献上公卿、諸大名への贈答、藩公御側用に選択されたるものの外は総て之を破毀(はき)し、絶対に坊間(ぼうかん)流出を禁じたるを以って、偶(たまた)ま庶民の手にいるも珍宝として秘蔵せらるるに止まり、一般家庭の実用に供するの望みなく所謂(いわゆる)海内(かいだい)の逸品として特に専(もっぱ)ら精を凝らすの工夫を積むに余念なかりしなり。
鍋島焼の解放
這般(しゃはん)本窯元は鍋島家へ懇請(こんせい)の上御用以外製作品を挙(あ)げて弘(ひろ)く江湖(こうこ)の嗜好に充つるの認諾(にんだく)を得三百年間の由緒深きうん蓄を傾けて実用品として一般の需要に応じるの機会を招来したり、高雅(こうが)掬(きく)すべく精巧嘉すべきは敢(あえ)て縷説(るせつ)を須(すべから)いす、先には商工省より丸技伝統技術保存に指定さる、偏(ひと)へに大方(おおかた)諸賢(しょけん)の一賛を得て秘作を解放したるの意義を普(あまね)からしめん事を庶幾(こいねが)ふ。
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