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    メモ 
【牛頭天王】
祇園精舎の守護神。
素戔嗚命(垂迹)=牛頭天王(本地)という習合思想がある。


淀姫神社の摂社


 祇園社 (八坂社)

淀姫神社境内の祇園社御祭神 素戔嗚命 (スサノオノミコト)
 祇園信仰は京都の八坂神社を総本社とし、悪霊を鎮め疫病を防ぐ厄除けの神様として全国に広まりました。
 当社は寛永20年(1642年)、大飢饉が続き、悪病が流行した際に、大川村戸石川に勧請されたものですが、飢饉がすぎ悪病が治まったころに淀姫神社の境内に鎮座されることになりました。現在戸石川に祀られている牛頭天王(ごずてんのう)は、明治初期に戸石川で赤痢が大流行した際に、再び戸石川に勧請しようとしたところ、淀姫神社から分祀できなかったために、小城郡から勧請されました。しかし、ここの祇園様は年に一度、戸石川に御帰りになります(旗寄せ神事)。

 稲荷社

淀姫神社境内の稲荷社御祭神 宇迦之御魂神 (ウカノミタマノカミ)
 京都の伏見稲荷大社を総本社とし、日本で一番祀られ親しまれている神様です。当社へ続く専用の古い参道・石段も残っており、古くからこの場所に鎮座されていたことがうかがえます。
 現在では商売繁盛の神様として有名ですが、稲成・稲生(イナリ)、すなわち農業・穀物の神様でもあります。旧暦の最初の午の日に「初午祭(はつうまさい)」が行われま

 牛神社 (うしがみしゃ)

社務所左手に鎮座の牛神様 通称「牛神様」。獅鬼退治の際、獅鬼は淀姫神社の祭神に頭を矢で射ぬかれ、のた打ち回って厳木方面に逃走しました。その後、源久が頭を斬り落とし、持ち帰って埋めたといわれる場所です。
 猛牛の災いが起こらぬよう、毎年5月の初牛の日に「牛祭」を行います。
  獅鬼退治伝説

 護国社

昭和24年建立。西南の役以来の大川町の戦没者(護国の神)が祀られており、毎年8月15日に慰霊祭が行われます。
淀姫神社境内の護国社


淀姫神社の末社

立ち並ぶ石祠(末社)
明治42年、神社合祀政策の際に、大川町内の神々が淀姫神社に合祀された神々を中心に、金毘羅社・天満宮・松ノ尾社など50社以上のあらゆる神様が鎮座されます。
その中でも曰く付きの神様を紹介いたします

 佐良位大権現 (さらいだいごんげん)

御祭神 天之御中主命 (アメノミナカヌシノミコト)
 天之御中主命は天地を創造した神で、「古事記」では高天原に最初に出現された、宇宙の根源・宇宙そのものといえる神様です。
 明治以前には、戸石川に祀られており「旗寄せ」という神事が行われていました。旗寄せは、筑肥一帯の神々を、神の祖である天之御中主命のもとに集め、その際に各神社の神主が真新しい旗を持ち寄り、神事が終われば各神社に旗を持ち帰り神前に供え、国家安泰・五穀豊穣・悪病退散を祈っていたものです。のちに、氏子が各神社に出向き、旗を持ち寄るようになっていましたが、明治42年にこの佐良位大権現が淀姫神社に合祀されて以降は行われなくなってしまいました。現在の「旗寄せ」神事は戸石川出身の祇園様(同じく明治42年合祀)が、戸石川に御帰りになる神事となっています。

 幸神宮(さえのかみ)

淀姫神社の末社・幸神宮御祭神 猿田彦命(サルタヒコノミコト)
 幸(さい)の神・塞の神などと呼ばれる神様で、村の入り口に祀られ悪霊や災いの侵入を防いだり、三叉路の突き当りに祀られるいわゆる道祖神・道開きの神様
 どこからか当社に運び込まれた際に、本殿近くまで運ばれる予定だったものの現在の場所(神社の入り口)でどっしりと動かなくなってしまわれたという、淀姫神社の門番です。(お帰りになる参拝者の道を開いてくださること間違いなし)
 さいのかみ様は子孫繁栄の神様でもあり、男性の下半身を祀ることで有名なのですが、ここの下半身はたびたび盗難にあったため、現在はその礎(写真手前)が残るのみ・・

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