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    メモ 
【末羅県】
まつらのあがた。「魏志倭人伝」にいう末廬国。


淀姫神社の御由緒

 末廬国鎮守の霊場・河上大明神

大川野盆地中央の伏熊山に鎮座する 当社は 第29代欽明天皇の御代24年(563年)に御鎮座されたと伝えられています。古代、『魏志倭人伝』に登場する末廬国(まつらこく)が唐津地方に栄えた頃であり、古くは「末羅県鎮守の霊場」とうたわれました。かつては「河上大明神」と称されており、松浦川の鎮守の神でありました。現在も鳥居の扁額は「河上社」と掲げられています。

 與止日女命(ヨドヒメノミコト)を主祭神とし、後代に建御名方神(タケミナカタノカミ)、菅原道真公を合祀しています。この建御名方神は、古くは長野原の古鳥居(現 肥前長野駅の北側)にあった「諏訪大明神」の御祭神で、今から千年以上前に合祀されたと伝えられています。
 長久2年(1041年)、諏訪大明神の神助により眉山の“獅鬼”を退治し、その頭を境内に埋め「埋牛塚」と称し祀られました。文治3年(1187年)、末社の乙宮神社は小城郡に御鎮座されました。

 中世には松浦一円の尊崇を集め、文明7年(1475年)8月、領主・源治が社殿を再興、天正17年(1589年)、吉志見城主・波多三河守親(はたみかわのかみちかし)が社殿を修造、明暦2年(1656年)8月・享保3年(1719年)に社殿を改築、宝暦9年(1759年)7月に社殿を銅版葺にして現在に至ります。明治5年の社格制定の際、與止日女命を主祭神とすることから、「淀姫神社」と改称されました。明治42年、町内各地区から多くの神々が合祀され、境内に祀られました。
 五穀豊穣、安産、縁結び、学業成就の神として信仰されています。

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