イメージ 推奨サイズW800×65px



    メモ 
【渡辺久】
源久。松浦党の祖で、松浦久とも。京都・一条戻り橋の鬼退治伝説で知られる渡辺綱の孫にあたる。


源久の獅鬼退治伝説

 淀姫神社由緒書にて伝わりし 化け物退治の物語


 後朱雀天皇の御代・長久2年(1041年)、大川村・眉山に大きな岩があり、その下の何十丈あるか知れない深い穴の中に“獅鬼”という身の丈 2丈余り(約6m)もある猛獣が棲んでいました。里に出ては作物を荒らしたり、馬や牛を獲ったり、さらには人を喰い殺したりしますので、人々は夜も眠れない有り様でした。
淀姫神社前から望む眉山 村人は嘆き悲しみ、この事を地頭へ訴えました。この頃の地頭・渡辺源太夫久(わたなべげんだゆうひさし)は武勇に優れた人で、その子・竈江三郎糺(かまえさぶろうただす)らと共に獅鬼退治に出かけました。
 源太夫は大木の生い茂った中を真っ先に立ち陣太鼓を打ち鳴らして狩り立てましたが、二丈にあまる獅鬼の暴れ回る凄まじさはたとえ様もありません。しだいに大風が起こり、空一面に霧がかかりはじめました。木の根・岩を踏み荒らし、赤い眼を怒らせ、炎のような真っ赤な口から血のしたたりそうな舌を吐きながら人々に向かって来る獅鬼の姿は、身の毛もよだつ凄まじい猛牛でした。村人はただ騒ぐばかりでそばへ近寄ろうとするものさえいません。それでも源太夫は声をあらげて人々を励まし、懸命に狩り立てました。
 そのとき、不思議にも社の扉が開き、白羽の矢が飛んで来て獅鬼の頭に命中しました。獅鬼は山谷に轟く大声をあげてのた打ち回ってなんとも云えぬもの凄さです。源太夫はこの時とばかりに村人と一斉に討ちかかり、とうとう獅鬼をたおしました。
 これはまさしく神が矢を放ち、災いを退けなさったのだと考えた村人らは獅鬼の頭を社の近くに埋め、後代にこの事を伝え残しました。この獅鬼を埋めた塚は「埋牛塚」と名付けられ、現在も淀姫神社境内に祀られています。その後、猛牛の災いで悪いことが続き、悪病が流行したので、5月の丑の日に「牛祭」を行うようになり、現在でもお祭りを続けています。

御祭神のページへ  淡島神社のページへ